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寄稿コラム


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第19回 2012/08/25

『乞食とイスラーム』再考

死海の物乞い

 2012年の2月から3月にかけて会議のため中東のヨルダンという国を訪問した。一仕事終えたあと、イスラエルとの国境を視察するついでに、他の会議参加者たちといっしょにヨルダンとイスラエルにまたがる死海に寄ってきた。ヨルダン側から死海を見るのは20年ぶりぐらいだったが、ずいぶん開発が進んでいて、死海の沿岸にはたくさんの高級ホテルが建設され、リゾート施設も整備されつつあった。そのうちのとあるリゾート区域に入ろうとしたら、入るだけで法外な入場料が必要だといわれ、断念、しかたなく運転手に無料で死海の水に触れられるという場所に連れてってもらった。安物買いの銭失い、タダより高いものはない、の喩えそのまま、ヨルダンはちょうど大雪の直後で、その無料ビーチの砂というか、粘土は解けた雪でドロドロになっていて靴底に分厚くへばりつき、とても歩ける状況ではなく、われわれは名物の塩水に近づくことすらできなかったのだ。
 そして、泥のなかで悪戦苦闘しているわれわれに近づいてきたのが、女性の物乞いだった。彼女は赤ん坊を小脇に抱え、そのうえ小さな子どもの手を引きながら、われわれに近よってきて、執拗に金をねだりはじめた。あまりにしつこいので、根負けして小銭をあげると、今度は別の人のところにいって、またつきまとう。結局、お金を出したのはぼくだけだったようだが、はたしてこんなことで、彼女たちは生計を立てられるのであろうか。
 この場所が、誰でも無料で入れるビーチだったことを思い出していただきたい。つまり、ここ以外に物乞いたちの居場所はないのである。本来であれば、物乞いに気前よくお金を支払わなければならない金持ち連中は、外国人観光客にせよ、ヨルダン人にせよ、高額な入場料が必要な高級リゾートのほうにいってしまっている。そこは、高そうなレストランがあり、着替えの場所もあり、雨が降っても靴に粘土のような泥が付着して歩けなくなるようなこともなく、そしてなによりしつこい物乞いは入ってこられず、不快な思いをしなくてすむのだ。
 で、こちらの、何の施設もない、無料ビーチはどうかというと、あまりお金のない地元の人たちと、われわれのような渋ちんの観光客、それにしつこい物乞いやラクダ使いぐらいしかこないことになる。ヨルダン人はともかく、外国からきた観光客がこうした物乞いたちにホイホイ浄財するとは考えづらいだろう。
 

 


排除される物乞い

 おそらく、観光地が整備されれば、観光客の数は大幅に増加する。それによって、死海周辺に落とされる外貨も増え、観光業に携わる人たちを中心に経済全体が底上げされていく。当局の目算はそんなところであろう。しかし、この絵図には観光業周縁にいて日銭を稼ぐ物乞いやラクダ使いは想定されてない。死海に建設されつつあるリゾート施設のほとんどは要塞のように、高い塀で囲まれ、異質な連中の接近を固く拒絶しており、物乞いたちが金持ち観光客のおこぼれにあずかるのは不可能であろう。金持ち観光客に気持ちよくリゾートを満喫してもら(い、バカスカ金を蕩尽してもら)うためには、彼らを不快にさせるようなものは極力その視界に入らないようにすべき。死海にプカプカ浮いて、上がってきたとたんに汚い物乞いに金をせびられては、すべてが台無しだ。その意味で物乞いたちの存在はリゾート経営者側にとって迷惑きわまりないのである。
 その結果、金持ち区域から締めだされた物乞いたちはやむなく無料ビーチに集中し、金を出す確率の低い観光客ばかりを相手にせざるをえず、そのため、さらに しつこくつきまとうようになる。となると、まともな観光客は無料ビーチから離れはじめ、そこには物乞いなど何とも思わない鋼の心をもった観光客か、ほんと うに金のない観光客しかこなくなる。かくて死海観光は金持ち向けの天国と貧乏人向けの無法地帯とに二極化する。というのは、ぼく自身の見立てで、これが当 たるかどうかはわからない。ただ、このヨルダンのケースでもわかるとおり、中東全体の流れとして、物乞いやラクダ使いのような階層を社会から排除していく ほうに向かっているのはまちがいないだろう。
 物乞いがいなくなるのは別に社会にとって悪いことではない。死海周辺でわれわれを案内してくれた運転手も物乞いをしっしっと追い払ってくれていたので、 彼にとっても、けっして好ましい存在ではなかったのだと思う。実際のところ、中東の多くの国では物乞いを根絶するためさまざまな措置が取られている。
 そうした疎ましい存在がいなくなるのはたしかにいいことであろうが、問題は、今述べたようなやりかたでは、物乞いたちがこの世から消えてなくなるわけで はないことである。要するに、彼らは、追い払われて居場所がなくなるだけで、どこかほかの場所で物乞いかそれに類似した行為を繰り返すだけにすぎない。つまり、物乞い撲滅のためには、金持ちの隔離政策は抜本的な解決策にはならないということだ。
 ヨルダンは1人当たりのGDPが5,900ドル(2011年IMF(購買力平価))とあまり豊かな国とはいえず、その意味で物乞いが多いというふうに考え る人もいるかもしれない。ところが、中東では、日本以上に豊かな国ですら、物乞いが社会問題になるほどたくさんいるのである。たとえば、産油国で、1人当 たりGDPが40,740ドルとヨルダンの7倍もあるクウェート。この国にも実は山ほど物乞いがいるのだ(ちなみにヨルダンは世界で108位、クウェートは 12位、日本は34,362ドルで24位)。
 たしかにクウェートは豊かではあるが、クウェート国籍をもっているのは総人口の3割程度にすぎない。残りはみんな外国人で、かれらの多くは、一部の例外 を除いて給料の安い民間部門で働いていたり、クウェート人がやりたがらない、あるいはできない仕事を押しつけられる。こうした外国人労働者のなかで食いつ めた連中が物乞いに零落することもあるかもしれない。そして、少数の特権階級のクウェート人から差別され、人権は蹂躙され、極貧のなかで生活している。物 乞いや乞食という語感からくるイメージはまあ、こんなものではないだろうか。


宗教と物乞い

 クウェートの物乞いには、こうしたイメージとは矛盾するような現実がある。たとえば、アラビア語の衛星放送が2010年8月の報道で、1か月足らずのあ いだに7万人以上の物乞いがクウェートに入国したというニュースを流した。クウェートの人口は270万人ぐらいだから、そこに一気に物乞いだけで7万人も 増えたというのはたしかに大ニュースだ。もちろん、彼らは全員外国人である。ちなみに2009年におけるクウェートへの外国人訪問者数は年間約30万人。 したがって、1か月で7万人の物乞いというのはいかにもあやしい。実際、この報道の直後にクウェート内務省は、報道を否定する声明を出している。内務省に よれば、同時期に内務省が発行した入国査証の数は約2300であり、物乞いだけで7万人などという数字はありえないという。たしかに内務省は正しい。7万 人の物乞いが入国するなどということは信じられない。しかし、問題なのはこうした報道がまちがいかどうかということではなく、筆者も含め、クウェートにあ る程度通じた人たちの多くが、この報道をみて、さもありなんと思ってしまうことのほうである。
 ここで肝心なのがクウェートで国教として信仰されているイスラームという宗教である。実は、物乞いが激増した2010年8月なかばというのは、イスラー ムのもっとも大きな宗教行事である断食月(ラマダーン月)と重なる。つまり、外国人の物乞いたちは、ラマダーン月に合わせてクウェートに入国してきたこと になる。ここに中東における乞食や物乞いたちの位置づけの特色がみてとれる。
 なぜ、彼らはこの宗教行事に合わせて異国の地で、そしてわざわざ自腹で航空券を購入してまで、物乞いをしにくるのであろうか。実は、日本人など一部を除 くと、クウェートの入国査証をとるのはたいへんむずかしい。物乞いのような連中(彼らの大半は中東やアジアの貧しい国の出身だ)がそう簡単に査証をとれる はずがない。通常はクウェート人のスポンサーが必要なのである。物乞いたちが、仮に入国査証をとろうとすると、一番手っ取り早い方法は、入国査証を斡旋す るブローカーにかなりの金額を支払って、査証取得のための書類を捏造してもらうことであろう。
 お金がないから物乞いをやるはずなのに、わざわざ大枚を支払って外国まで物乞いをやりにいくとはどういうことであろうか。答えは単純で、要するにもうか るからである。大枚はたいても元がとれるのである。上記の報道によると、物乞いは1日200ドル、数ヶ月クウェートに滞在してだいたい6,000ドルほど稼 いで帰国するという。日本円で50万円程度。貧しい国であれば、これで1年間、家族を養えるかもしれない。つい最近だと、2012年3月の報道で、ク ウェートで逮捕されたエジプト人の物乞いがわずか2日間で日本円で40万円以上を荒稼ぎしたというのがあった。このエジプト人は身体障害者のふりをしてい たというので、おそらくそうしたほうが同情をかいやすく稼ぎもよくなるのだろう。
 さて、この話のなかには中東の物乞いを考えるうえで重要なポイントが隠されている。ひとつは、物乞いはもうかるということ。もうひとつは宗教と密接に関わっていること、である。
 最初のもうかるという点に関していえば、何もクウェート人が金持ちで、気前がいいからというだけではない。なぜなら、こうした乞食たちに金を与えるのは 金持ちクウェート人だけではないからである。外国人を含め、クウェートに住んでいる多くの人たちが実に気前よく乞食たちに金を恵んでいるのである。
 そして、もうひとつの点、宗教に関していえば、乞食、あるいは物乞いたちがラマダーン月を目指してクウェートにやってくる点が重要になってくる。つま り、このきわめて宗教的な時期こそが、物乞いたちが金をもうけるベスト・シーズンになるということだ。これは何もクウェートだけの特殊な現象ではない。お 隣のサウジアラビアでもそうだし、また、いまだ混乱がつづくイラクでも、ムスリム(イスラーム教徒)が少数派のインドでもやはり宗教行事と物乞いの増加は 相関関係にあるのである。
 もちろん、イスラームが物乞いを奨励していることはない。また、これらの国ぐにで乞食が認められているわけでもない。イスラーム諸国の多くには乞食撲滅 を専門に行う政府の部門があり、それらが積極的に物乞いを摘発しているのである。たとえば、2011年3月のサウジアラビアの報道では、過去1年間にサウ ジ国内で2万人以上の乞食が逮捕されている(そのうちサウジ人は20%弱)。
 ではなぜ、物乞いはもうかるのか。これもいわずもがなであるが、要するにかれらに金を渡す人びとがたくさんいるからである。イスラームでは救貧という概 念が信仰のうえで大きな役割を果たしており、多くの善男善女が貧しい人たちを助けるために、積極的に寄付を行う。これは慈善団体にかぎらず、個人レベルで も同様である。イスラームには礼拝や巡礼など5つの基本的な義務があるが、そのなかにザカート(喜捨)と呼ばれる義務があり、これはしばしば救貧税と解釈 される。つまり、貧しいものを救うために金を出すのはイスラーム教徒としての義務なのだ。
 そして、かれらの宗教心が高揚する断食月や巡礼月には必然的に財布の紐もゆるむわけで、こうした人びとの善意を狙って物乞いたちが集まってくるのであ る。かれらはイスラーム教徒の礼拝所であるモスクの出入り口やショッピングモール、観光地や市場の入り口など、たくさんの人が集まる場所に陣取り、往来す る人たちに金をせびる。信仰心が高まった時期に、目の前に貧しい人がいれば、金を払いたくなるのもまた人情であろう。けれども、こうした信仰心が逆に乞食 たちを増長させ、経済の実態からかけはなれるぐらいその数を増加させているのも事実なのである。


乞食と仏教

 日本語に「情けは人のためならず」という諺がある。今ではこの諺、苦境にある人であっても、情けなどかけるとかえってそれに甘えてしまって、自立することを妨げてしまうから、情けなどかけるべきではないというふうに解釈されることが多い。しかし、比較的高齢のかたにとっては、この諺は、人に対して情けをかけてあげれば、それは回りまわっていつか自分のところにもどってくるから、積極的に人に情けをかけてあげなさい、という逆の意味になる。どちらがいいのかは何ともいえないが、クウェートやサウジアラビアの物乞いをみるかぎり、前者が正しいようにも思えるし、死海の物乞いはやはり誰かが支えてやらねばとも思ってしまう。
 ひるがえって、日本の場合はどうなのだろう。日本では物乞いという行為自体少なくなっているが、救貧という概念を例にして考えると、イスラームやキリスト教など中東由来の宗教と日本の宗教のあいだで大きなちがいを感じることがある。たとえば、花見で有名な東京の上野公園には多数のホームレスが住んでおり、休みの日などよくキリスト教系団体がかれらのために炊き出しをやっている。しかし、上野公園といえば、徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の境内だった場所だ。本来であれば、その寛永寺がホームレスのために何らかの活動を行うはずではないだろうか。だが、寛永寺がホームレスのために炊き出しを行っているというのは寡聞にして知らない。お膝元で異教徒が慈善活動をしているのをみると、何となくショバを荒らされているみたいに感じてしまうのは、筆者がこの寛永寺の付属幼稚園の出身だからであろうか。



 

 

 


 

+ Profile +

保坂修司先生

 慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史)。近畿大学教授などを経て、現在一般財団法人日本エネルギー経済研究所研究理事。専門は湾岸地域近現代史。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』(岩波書店)、『新版オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版社)、『イラク戦争と激動の中東世界』(山川出版社、近刊)など。
 やれ戦争だ、やれテロだ、やれ石油だと日頃生臭い研究ばかりしているので、その反動からか、社会のなかのちまちました現象や際物的な存在に惹かれます。「乞食」もまさにそのひとつですが、根がひねくれているものですから、貧困とか政府の経済政策といった王道的なアプローチができず、どうしてもうがった見かたをしてしまいます。
 最近は、余技でヨーロッパや日本で古代エジプトのミイラが薬として利用されてきた歴史を研究したりしているのですが、これも同様です。薬としてのミイラは医学史のなかではあだ花のようなもので、効きもしないのに、多くの人が万能薬としてもてはやしていました(「ミイラ取りがミイラになる」という諺はここから出たものです)。人びとはなぜこんなものにお金を支払っていたのでしょうか。
 同じ流れで、日本中の癌封じを謳う神社仏閣を訪ね、お札やお守りなどいろいろな癌封じグッズを集めています。宗教的な義務を果たし天国にいくために、乞食に金を恵む、病気を治すために、高価なミイラを服用する、お札を購入する。それぞれことなる行為ではありますが、同じような思考法が通底しているように思えます。どうやらぼく個人としては「信じる」ことと「お金」が結びつく現象に関心があるようです。とくに信じる対象が、偽物であったり、いんちきであったり、いかがわしいものであったときにはよけいにそそられるみたいです。
 たとえ事実ではなくても、あるいは嘘であっても、それを信じる人が多ければ、お金が動き、社会が変わることさえあるというのは宗教(イワシの頭も信心から)や薬のプラセボ効果だけではありません。ぼくの本業のひとつのテロ研究でも同じ見かたで分析することができます。また、いわゆる「アラブの春」でFacebookなどSNSが重要な役割を果たしたとされますが、そこで流され、多くの人たちが共有できた情報はけっして「事実」だけではなかったことも、根っこの部分では同じことなのかもしれません。