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2012/12/31

『新世代の認知行動療法』熊野宏昭(著)
            日本評論社、2012年5月 2200円(税別)

 うつ病や各種依存症などの治療方法として近年脚光を浴びている認知行動療法。その中には、さまざまな理論的・技法的立場が含まれる。本書は現在重視されている「第三世代」の諸・認知行動療法を横断的に俯瞰するものであるが、それらを貫く理論的枠組みを目をそらさずに探究する著者の姿勢のおかげで、コンパクトなものとなっている。
 さて、当サイトで本書を取り上げる理由は、これまでもしばしば指摘されてきた、認知行動療法と仏教(仏教瞑想)との近さを確認することにも、力が注がれているためである。まず、「第三世代」の諸・認知行動療法の創始者たちは、実際に、禅仏教やテーラワーダ(上座部)仏教からインスピレーションを受けている。また、西欧で仏教を語る際に鍵となるマインドフルネス概念は、じつは「第三世代」の認知行動療法でも重視されている。評者の葛西は心理療法の専門家でも医師でもなく、本書の治療的意義について詳述することはできないが、瞑想とその広がりを研究する宗教学者であるので、仏教理解に本書が資するものを以下で述べることとする。
 
 
 強調しておきたいのは、本書が宗教・信仰としての仏教を説いているわけではないことだ。著者は僧侶や仏教者ではなく、特定の神仏や経典への信仰を説くわけではない。けれども、古来からの仏教の智慧には注目する。著者は一人の医師として、行動療法・認知療法がそれぞれ積み上げてきた理論枠組みが仏教のそれと比しうるものであることを確認するとともに、その仕組みを説明する理論において、あるいは、効果確認済みの方法への焦点化において、療法側が仏教側に貢献できる可能性も示唆している。仏教が実践者の体験から出発してより抽象度の高い概念へと順々に組み上げられていくのに対して、たとえば認知行動療法の言語モデル(関係フレーム理論)は、わたしたちの思考がいかに言語に縛られているか(そして言語を用いている自己に縛られているか)を、仏教とすこし異なる視点から示す。そこから解き放たれるための心理療法的技法を工夫し、その効果を評価する。著者にとっては、仏教は、いわば2500年前の認知行動療法なのであり、人間をよく観察した結果として、認知行動療法とがほぼ同じことを再発見したのだと、驚きと敬意を以て受け止めていると思われる。

 では本書は、「第三世代」の認知行動療法の理論枠組みと仏教のそれとをどのように対比するのか。著者は「第三世代」の認知行動療法を特徴付けるもののなかに、マインドフルネス(いまの瞬間の現実に気づきを向け、それに対する思考や感情にはとらわれないこと、そしてそれを踏まえた、心をこめた生き方)とアクセプタンス(いやな体験を回避しないでありのままに感じようとする積極的努力、そしてその日常生活への応用)という二つの態度を挙げる。両者は、MBSRおよびMBCT(Mindfulness-Based Stress ReductionおよびMindfulness-Based Cognitive Therapy)あるいはACT(Acceptance and Commitment Therapy)などにみるように、「第三世代」の認知行動療法の名称に組み込まれていさえする。MBSRは疼痛緩和や疥癬のセルフケアに、MBCTはうつ病の再発防止に効果があると広く知られている。あるいは、DBT(Dialectical Behavior Therapy弁証法的行動療法)のように、禅の原理をベースにしている療法もある。DBTでの禅的原理は、患者や治療者、そして治療関係が思うようでなかったとしても、それを評価抜きにありのままに観察し(マインドフルネス)避けようとしない(徹底的受容radical acceptance)という考え方を支えている。このDBTは、自傷や自殺未遂など自己攻撃的な行動を繰り返す一方、支援する周囲へも強い批判や攻撃を向けて疲弊させてしまう、境界例(境界性人格障害)に優れた効果を持つことで知られる。
 「第三世代」の認知行動療法においては、上述以外の仏教的概念はどのようにとらえられるだろうか。たとえば、無我(我(=自己)がないという理解ではなく、ここでは、自己に執れない態度と理解いただきたい)は、仏教哲学の形をとった抽象的な議論の対象としてではなく、実現されるべき理想状態としてでもなく、患者が行動を改善するために有効な姿勢・態度と考えられている。わたしたちは、考えていることを自動的に事実と思い込みがちなしくみの中に生きており、これが悪循環すると、疎外感や抑鬱感や被害妄想に囚われてしまうことになる。このしくみを解除することが仏教の目指すところであり、また実は認知行動療法の治療の目指すところでもある。言葉は強力な連想能力を喚起する。「黒い熊を思い浮かべてはいけない」といわれた瞬間に黒い熊が想起され、黒い熊を頭から消すことができなくなってしまうように、「私には価値がない」「私は仲間はずれにされている」などの思いは心に焼き付いて、心の病にまで至ることもある。このような「雑念」を消すためには、別のこと(呼吸などの観察)に心のエネルギーを集約し、そのようなモードにある「私」の状態をありのままに、避けずに、また価値判断せずに観察することで、「(私が)仲間はずれにされている」「(私には)価値がない」などと感じている体験、その中心に想定されている「私」というものに振り回されないことに気づかせる。仏教の瞑想においては、この気づきは瞑想を重ねることによって得られていく。認知行動療法においては、たとえば、問題が起こる前・起こった問題・その結果を、一覧表に書き出して、治療者と患者が一緒に検討することで、この気づきをともに発見していこうとする。私(自己)に囚われないという、無我の態度・姿勢である。
 本書のもととなったのは、『こころの科学』誌における連載である。著者は各認知行動療法を一つの街にたとえ、本書を、街々をめぐる旅にたとえる。著者はとくにACTを専門としているので、他の療法についての探究はまさしく(連載という形をとった)旅であったのだろう。各療法の実践上の細かなアドバイスはない(本書は入門書ではないし、治療のガイドでもない)が、そのかわりに、各療法の理論的な考察と、3、4章のマインドフルネスとアクセプタンスの実践(瞑想実践)の簡潔なガイドとを貫いて、マインドフルネスとアクセプタンスの両概念が、角度を変えながら繰り返し解説される。瞑想実践の技法として例に挙げられるのは、呼吸を筆頭とするかすかな身体感覚に気づくこと(マインドフルネス)であり、そのときに生じてくる快や不快をともなったさまざまな考えをそのままに受け入れること(アクセプタンス)、しかしそこにとどまらず、呼吸などの身体感覚に気づきを戻してやることである。著者は、このマインドフルネスとアクセプタンスの治療者自身による実践(つまり瞑想的実践)が、治療者にも有意義であると考える。「第三世代」の認知行動療法をより深く理解し、療法を受診する患者の体験をも理解して、それがよりよき治療関係(治療構造)を形成して、結果的に治療の効果をも上げていくことができる、という点で。
 「第三世代」の認知行動療法の応用範囲は広く、たとえばACTについては、慢性疼痛、不安障害、精神病性障害などの心の障害のみならず、禁煙、糖尿病、物質依存、職場ストレス、などの、生活習慣病や苦痛の緩和、生活のあり方全般に関わる見直しにも、長期的な改善をもたらしうるという結果が挙げられているという。病気だけでなくより広範な不調をも対象としうるのである。
すでに述べたように、本書は入門書ではなく、治療についてのガイドでもない。むしろ、認知行動療法の複数の立場を広く学ぶことを目指しているが、同時にそれらの鍵となるマインドフルネスやアクセプタンスという仏教と共有された重要概念について確かめる本ともなっている。認知行動療法の背景となる理論についての考察は歯ごたえのあるもので、評者は、仏教概念を認知行動療法の立場からさらにかみくだいた、より一般向けの書籍も著していただけないかと念願している。
 本書を読み終えて、認知行動療法が一つの道(みち)とでもいえるものを提供するものになっている――もちろん心理療法の常で、患者本人が執(囚)れている価値観を再検討させ、自身の価値観を発見させて活現させることが目指されるのだが――ことが評者には興味深く思われた。著者の熊野氏が、ていねいな議論で、仏教が考える自己のあり方と認知行動療法のそれとを対比させた労を多とし、現代における仏教の可能性に真摯な関心を持つ読者に本書を薦めたい。
 
(宗教情報センター研究員 葛西賢太)
 
  • 著者の熊野宏昭は、認知行動療法の実践や、マインドフルネスの応用を彼自身が講義しまとめた資料を、ウェブサイト「Kumano’s Information Base」で一般公開している。講演の動画資料も含むたいへん充実したサイトは本書の理解にも参考になることと思われる。
  • 宗教と健康の関連を考察する寄稿コラムが、当サイトにて、2013年1月下旬に公開される予定である。あわせてご覧いただきたい。