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宗教情報PickUp
書評 バックナンバー
2012/07/26
『イエスはいかにして神となったか』 フレデリック・ルノワール(著)
谷口きみ子(訳) 春秋社 2012年6月 2600円(税別)
イエス・キリストが処女から産まれ、病人を癒し、湖上を立って歩き、死後に復活したという新約聖書を読み、書かれたこと一字一句を信じる人間が現代日本にどれほどいるだろうか。今ではヨーロッパのキリスト教徒でもイエスの復活を疑うものが半数で、イエスを神と思わず、模範的な人間などと捉えるものがしだいに増えているという。それにも関わらず、三位一体の教義と、「イエスは神の言(ロゴス)の受肉で、神にして人間であり、父なる神と同じ本質をもつ」という受肉論が、“正統な”キリスト教徒の共通見解となっている。この見解は、「イエスとは何者か」を問う神学論争の成果である。というわけで、紀元前4年あたりに誕生したイエスが、5世紀半ばまでに神としての地位を確立するまでの論説形成過程や神学論争の変遷が辿られていく。
アリウスやネストリウスなど主要人物の思想形成の系譜や主張の解説もあるが、それよりも、帝国統一に利用するため教義の統一を強行しようとした皇帝の個人的な思惑や、司教の主導権争いや派閥間の報復といった人間ドラマの要素が強い。当初は異端の排除が不徹底で、正統と異端が会議のたびに覆ったのも駆け引きを激化させた一因のようだ。アリウスの不審な死や、ネストリウス派打倒を目論むキュリロスによる賄賂攻勢などは教会の堕落を早くも示している。正統か異端かの判断基準は、論理ではない。プロテスタント神学を修めた作家・佐藤優は、神学的な議論は「論理的に正しい者が負けて、間違っている者が政治的に勝利するという傾向がある」(『神学部とは何か』新教出版社)と書いたが、それを地でいくようなストーリーだ。
この話を理解するための前段階として、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書におけるイエスの描写と呼称を検証する第1部、イエスの本性を論じる2~3世紀の諸説を解説する第2部があるようだ。第1部では、「人の子」「主」などイエスの呼称に隠された意図を紹介。著者は、4福音書のなかで最も遅く2世紀初めに成立した『ヨハネ福音書』を抽象的な議論を活発化させる役割を果たしたとして重視する。イエスの神性を初めて明らかにした同書には三位一体論の萌芽がある。それを土台に展開された諸説が第2部で解説される。「神の唯一性」と「イエスの神性」を両立させる難しさから、仮現説、養子説、従属説など、苦肉の策とも思える説がなんとたくさん創出されたことか。
キリスト教に詳しくない人向けに書かれているからであろう。注釈は丁寧だ。イエスの実在を疑わず、福音書を史料として扱い、著者に疑義がある『ヨハネ福音書』を使徒ヨハネによるものと肯定するなど、キリスト教界の伝統的見解を前提とする。この前半部分は教科書的でやや冗長だが、ここを超えると筆致も変わり、俄然、面白くなる。
通してみると、イエスが神と同質であるまでに地位を向上させた過程は、教会分裂の歴史となっている。アリウス派は蛮族に広まったあと数世紀のうちに消滅したが、エフェソス公会議で断罪されたネストリウス派はペルシャ教会として分離独立し、カルケドン公会議後にはコプト教会などが独立した。教会が権威を与えられると同時に神学論争に陥り、イエスの教えから離れていったようにも受け取られる。「13番目の使徒」とされるコンスタンティヌス帝は、功罪相半ばといったところだろう。
著者は神学論争の意義を否定はしないが、義父に強姦されて妊娠したブラジル人少女を中絶させた母親と医師が教会法に則って自動的に破門された2009年の事件を例に、「教会法は、福音書に照らして逸脱している」と現代のカトリック教会を糾弾する。そして神学以前の書物である福音書に立ち返って、信仰の根幹を提示する。福音書を参照すると、現代の教会は本質を忘れ、イエスが批判した宗教のあり方に陥っているようである。これは他宗教にも重なるところがありそうだ。既存の宗教のアンチテーゼとして新たな教えが誕生しても、教団の組織化と教義の整備が進むと硬直化し、失われるものが大きくなり、最終的には過去に批判を加えた宗教と同様になってしまう。
この本はキリスト教の教義への理解を深めさせてくれるが、それが教会へ誘うものではなく、むしろ批判的な目を向けさせるものであるようだ。本書が本国フランスでベストセラーとなったのは、作家・宗教ジャーナリストとしてわかりやすい著書を多数送り出してきた書き手の才によるものなのか、神学論争の背景を知る面白さなのか、宗教心は失っていないが教会離れした人々の共感を得たのか、思いを巡らせてしまった。
(宗教情報センター研究員 藤山みどり)