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CIRの活動

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活動報告

2017/06/26

CIR日本文化・日本宗教研究セミナー(CIRセミナー)2017、開催されました

 2017年6月24日(土)、25日(日)、東京・千代田区の友心アネックスで、CIR日本文化・日本宗教研究セミナー(CIR Seminar for the Study of Japanese Culture and Religion 2017、CIRセミナー2017)が開催されました。カナダ、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、オーストラリアから、大学院生の日本宗教・日本文化研究者を招き、日本語での発表・討論を行なうという、国際研究集会です。研究発表者、アドバイザー、聴講者を含めた総勢20名が集い、研究発表と情報交換を行いました。
 国際研究集会は英語などで行われるのが通常で、水準の高い日本文化・日本宗教の研究発表を英語などで見聞きすることも多いのですが、このセミナーでは、日本語のネイティブスピーカーではない若手研究者に、あえて、日本語での研究発表と討論を行うことを求めています。本年で三回目になりますが、外国の言葉で研究をしなければならないというハンディに向き合いながらの二日間は、特別な体験といえるでしょう。
 2日間にわたるセミナーのアドバイザーとして、以下の先生方が参加されました。コメンテーターとして、モリー・ヴァラー先生(明治学院大学)、遠藤潤先生(國學院大学)、奥山倫明先生(南山大学)、鈴木正崇先生(慶應義塾大学)、塚田穂高先生(日本学術振興会)西村明先生(東京大学)、ジェイムズ・ハイジック先生(南山大学)、星野靖二先生(國學院大学)が、発表者の草稿を事前に綿密に読み込まれたうえで、ご参加くださいました。村山由美研究員とわたくし葛西賢太が交互に司会を務めました。
 
発表と議論の様子
 

研究発表は以下の通りです。  以下、研究発表内容と議論を、報告者の私が受け止めた範囲で記します。

 Gwyn McClelland氏の発表は、原爆投下を経験した長崎という地で、被爆した聖母マリア像を手がかりに、さまざまな傷を負った聖母マリアのいくつものイメージを探究するものでした。同氏は長崎でのインタビュー調査に基づき、キリシタン禁教から原爆に至るまでのさまざまな受苦と、マリア観音から被爆マリアに至るまでのさまざまなマリア像とを照らし合わせました。遠藤周作の『沈黙』がスコセッシ監督により映画化されて話題になりましたが、受苦がどのような形で表現されるのかを問う発表となりました。研究調査方法、また、長崎におけるカトリックとプロテスタントと隠れ切支丹の関わり、マリア像以外の宗教的事物をどう扱うか(material religion)、広島との違いなどが議論されました。
 Manuel Azuaje-Alamo氏は、南米の三人の重要な文学者のうち、オクタビオ・パスとホルヘ・ルイス・ボルヘスを取り上げ、パスによる松尾芭蕉『奥の細道』スペイン語訳や、ボルヘスによるスペイン語での短歌・俳句をていねいに吟味し、そこにみられる「ZEN」的な思想を読み解くものでした。パスやボルヘスの試みは、単なる日本文化の移植や輸入ではなく、「世界文学」あるいは「普遍的な文芸」の試みでもあり、南米における、またスペイン語圏における仏教理解のあり方から影響を受けています。たとえば時ーー百代の過客ーーへの芭蕉の言及は唐代の詩人・李白の詩を踏まえたものですが、パスによる訳では中国文化への言及は失われ禅的な思想として扱われます。ただしこの禅も、日本に実際にある禅宗(伝統的な禅仏教教団)のあり方とは離れ、国際的に賞揚される「ZEN」、近代仏教としての禅的なものとなってしまうのですが、このような状況をどう読み解いていくかが議論されました。
 Franziska Steffen氏の研究は、天理教を「迷信」「邪教」と迫害した明治時代の「識者」たちが、どのような論点を持っていたのかを明かしていくものでした。そしてその論点とは、天理教はキリスト教に似ていて、神道とは異なる、それゆえ日本の国体にとって危険がある、といった、現在から考えると荒唐無稽とも思われるものです。同氏は具体的な資料をあげて、なぜこのような論点が取り上げられたのかを論じます。議論では、この研究が博士論文の中でもつ位置づけを確認しながら、諸宗教における異端や非主流の意義、当時の日本の宗教制度、日清・日露戦争を経ての「日本人」としての認識の形成、「迷信」概念と治病儀礼と当時の医学との関わりなどが論じられました。
 Sam Timinsky氏の研究は、二つの週刊誌という雑誌メディアでの創価学会批判を追うことを通じて、日本のサラリーマン文化を吟味するものでした。雑誌メディアは創価学会批判を通じて、高度成長期の日本人中年男性に政教分離像や宗教観を提供していくプロセスが検討されます。雑誌メディアという資料の研究上の意義と取り扱い方、論者たちの思想的背景、同時代の重要な出来事などが議論されました。
 Paulina Kolata氏は、人口減が進んでいく地域のふつうの寺院に密着した調査を行い、寺という場所、寺をめぐる人々の関わりの「持続」を考えたものです。地域の人々の連携、リーダーシップに、地域の寺院がどのように関わっているのか、寺院の存在意義はなにか、人々はそれらをどう受け止めているか(現状維持か、変化と希望か、あるいは衰退と消滅なのか)という問いは、調査地域についてのものですが、より普遍的な問いでもあったと思います。
 日本仏教を歴史学的に研究するうえで、黒田俊郎氏の『顕密体制論』など、支配や権力に焦点を当てる研究に、聖なるものや聖なる場所を扱う論点を加えられないかというのが、Eiji Okawa氏のテーマでした。高野山は、その成立にあたって、弘法大師が三鈷を投げて届いた場所が高野山に定まったという「縁起」の語り、「共和国のような」高野山への宣教師フロイスによる言及、今なお高野山で瞑想を続けているという大師の法衣を更新する「御影供」などをとりあげ、高野山を高野山たらしめるはたらきを見いだそうとするものでした。

 研究方法に関わる話題で、私が印象に残ったことを数点あげておきます。
第一に外国語で書くことについて。外国語で読み、聞くだけでなく、外国語で話し、また書くことはたいへんなハードルです。英語圏の著名な先生の日本研究の著作から、些細な日本語のミスが見いだされることがしばしばあるので、原稿を事前に読んでくれるような友人を持つことのすすめと、ネイティブ「スピーカー」だけでは不十分で、ほんとうに意識して母国語を書いているネイティブ「ライター」を見いだすことが大切という指摘がありました。研究上の文献だけでなく、すぐれた文学作品にもなじんで思考と表現とをともに豊かにすることの勧めも。元型などの、大きな概念を使うこと、宗教概念の時代性(宗教という語を使うことによってすでに特定の宗教観に縛られてしまうなど)についての注意事項なども議論されました。宗教と一口で言われるものに含まれる多様さ。そして何より、アドバイザーの先生方がそれぞれ経験してこられた多様な宗教の現場や実例、博識さにご一緒できる幸福を思いました。
 
参加された研究者の卵と、アドバイザーの先生方
 
(宗教情報センター研究員 葛西賢太)